青天丼

25歳フリーランス匿名日記

2023年11月2日

昨日から実家に帰っている。

 

というのも、一昨日会社を辞めてきたから。

義理堅い人間なので、この決定はきちんと2ヶ月前から会社に申告していて、そして10月31日を退職日にした。清々しい気持ちでその後実家に帰り、これからのことを考えなくちゃいけない。

 

早口な先輩とも、朝型の上司とも、もう人生において重なる点が無いかもしれないということがなんとなしに寂しかったけど、2日間寝倒したらもう忘れたので人間とは薄情な生き物だなと思った。

来週引っ越しの予定があるので、実家でだらけるのは週末で切り上げて自分のマンションに戻らなければならない。

 

実家では、わたしが会社を辞めてきたことをまだ知らない両親が、娘が有給を使って帰ってきたのだと思って豪勢な食事を出してくれたし、仕事で滅多に会えない兄までもが一晩だけ都合をつけて家に戻ってきてくれて、とても久しぶりに家族全員で食事をした。

なお、我が家の食卓はこたつである。

あまりに賑やかで、わたしが一緒に連れ帰ってきていた猫は不快そうな顔で寝室に引っ込んでしまった。一方、兄は夕食の後、用もないのにコンビニまで散歩してアイスを買ってきてくれた。わたしは自分と兄の客用布団を敷いて、日課のように原因不明の悲しい気持ちに襲われて、家族の誰より早く(21時ごろかな?)布団に入って、Meditopiaの睡眠プログラムを小さく流しながら寝た。

絶対に負けねぇ!

 

そういえば今年25歳になった。ブログのdescriptionが嘘になってしまっているから直さなければならない。

24と25はわたしの中ではあんまり大きな違いはなくて、でも日々段々と下の世代のささいな言動に「え、そんな感じなんだ」と驚くことが増えた。ジェネギャがじわじわ始まろうとしているなと思っていたら、その下から「いや〜先輩、ジェネギャっすねw」と言われた。単にわたしが礼儀にうるさくなっただけなのかもしれない。

 

 

 

再就職のアテは無いが、幸いにも貯金は500万円ほどある。これはわたしの隠れた小さな誇り。もとよりお金を使うより稼ぐほうの趣味があった。

会社員をしていない時間、細々(ほそぼそ)と漫画を描いたり夜にバイトをしたりしてお小遣いを稼いでいたので、この貯金を原資に引き続きまた漫画を描いて暮らして、お金がなくなったら正規雇用の仕事でも探そうかなと考えている。今はコミカライズの作画の案件や、そのほかのまばらな案件を並行して抱えていて(ありがとうございます)、引っ越しが終わったら真面目に作業を再開するつもりでいる。

 

会社を辞める時、いろんな人に「次は何をするの?」と聞かれて、「1〜2ヶ月はゆっくりして、それからまた同じような職種に行きます」とか「ぬいぐるみを投げて暮らします」とか「秘密です」とか言ってぼかした。漫画を描きます、とはけして言わなかった。

最も親しい友人らにこの近況を話した時、「え〜、すごいね。わたしには真似できない」といった感触のリアクションを得たことになんとなく苦い気持ちになったからだ(しょうがないと思う。わたしでもそうなる)。

かといって無職なんだと遠慮されるのも面倒で、最近のこれらの身の上話をどこにも出せないでいる。出したいものでもないが、来月には何にどう思ったかも忘れていそうなので以下に記す。

 

漫画を描くことが実はそんなに好きではない。だから、「好きを仕事にするんだね」という誤解を受けたくなかった。わたしはもっとネガティヴな感情で退職の選択をしたのだと思われたかった。誰にも羨まれたくなかったし、たとえわたしがこのことにどれだけ計画的に取り組んでいても、同僚たちにとって脱サラとは「無策にキャリアを捨てる愚かな選択」でしかないのだろうと思って。そうやって引かれるぐらいなら哀れまれた方がましに思えたので、要するに「私たち、今のままお互いの内情に踏み込まず、フラットな関係でいましょう」という態度を示した。

 

 

人生はマラソンです、と新卒で入社したその日に会社の偉い人は私達に言った。

それを聞いて怯えたのを今でも覚えている。

生き物はずっと走れるようにはできていないし、どこかで長い休息を取らなければガタが来て壊れてしまう。わたしが「今やめよう」とおもったのは別にガタが来てしまったからではないが、ふとこの先3年、5年後の自分を想像した時に、それでもまだその自分が会社を辞めているビジョンが見えなかったし、過去に「あの時辞めておけば」と思えるタイミングも見当たらなかった。

「過去にも未来に辞める機会がないのなら、つまり今がその時なのだろう」と思った。

今休んで、終わりの見えない休みを堪能して、それに飽きたらまた歩き出そうと思ったのだ。

 

人生はなるようにしかならないので、こうと決めたこともそれを実行したことも、そんなに一大事ではないように思える。

なんとなくで生きていけばいいと思う。たぶん少なくとも、今のわたしにはそれができるのだ。

完璧主義者だった5年前の自分に見せてあげたい、素晴らしい有様だと思った。